「人の過ちはあなたの課題」
みなさんは「あいつが悪い」と人を裁いてしまうこと、ないですか。誰かの失敗を見て「あいつは何をやっているんだ」とか、「とんでもないやつだ」とか。これ、キリスト教では罪ですが、一体なぜ?
人を裁くのは神様の仕事です。失敗に至るまでの経緯や背景、関係者たちの心情や悔恨の度合い等、漏れなく完全に捉えることができるのは神様だけ。加えて愛情も桁違いですから、視野の狭い「人間」とはまるで違った裁きになります。神様を差し置いて誰かを裁くというのは、自分を「神様よりも上」とする傲慢。神様を「裁きの座」から引きずり下ろす行為。・・・これ、意外と重い罪です。
ところが、インターネットはじめ、マスコミの情報の中にも「正義の視点から悪を裁く」情報が氾濫しています。通常、人は自分の良心に満足し、敢えて疑問視しません。正義を主張すれば、当然、正義感が強く刺激され、高揚感と共に「自分は素晴らしい心の持ち主である」と考えます。口に出さないし、意識もしていないのでしょうが、そう感じて満足するのです。
このような、正義感と善意に満ち溢れた私たち罪びとは、赦し合うこと、受け入れあうことを「変わった考え方」に変えてしまっている。私はこれを変えたい。皆さんも協力して下さい。「人を裁かない」と心に決めましょう。代わりに問題の解決を考えれば良いのです。
「いきなり、完全に」と言っているのではありません。
少しずつ、少しずつ・・・。
私は、「あなたの幸せ」について話をしているのです。