エーリッヒ・フロムは、「生きるということ」の中で、「持つ」(to have)ということと、「ある」(to be)という事の違いを最初に書いています。私たちの多くの者が信じて止まないのは、幸せになるためにも何か役に立つためにも、能力や物を持っていなければ何もできないと言う事ではないでしょうか。

 

聖書に「良きサマリア人のたとえ話」という有名な話があります。

 

ある人がエルサレムからエリコに向かっていました。この「ある人」はユダヤ人を想定しているようです。突然強盗が現れて、彼を袋叩きにして半殺しにし、服や持ち物を奪って逃げて行きました。

 

そこへ祭司やレビ人が通りかかりますが、見て見ぬふりをして通り過ぎます。次にユダヤ人が差別していたサマリア人が通りかかり、彼は倒れている人を憐れに思い、近寄って行って介抱しました。

 

イエスは「強盗に襲われた人の隣人になった人は誰か。」と尋ねました。

 

私たちはこの話から、自分たちもサマリア人のように助けを必要としている人の隣人にならなければならないと考えます。

 

しかし、サマリア人はブドウ酒もロバもお金も持っていました。だから、助けるためには、物や能力を持っていなければならないと考えてしまうのです。

 

もちろん、物や能力があれば、出来ることも広がりますが、一番重要なことは、彼が傷ついた人の隣に近づいたこと(to be)なのです。

 

インドのマザーテレサは、路上で倒れて死を待つ人々を連れて来て、大切に介抱して、その人のために祈り話しかけ、人間として生まれてきた最後の時を、人間らしく過ごさせてあげたいと世話をしていました。

 

マザーたちがいなければ、誰にも知られずに、ものとして、この世を去っていたかもしれません。

 

持っている(to have)よりも、「そばにいてくれること、寄り添ってくれること」(to be)が、その人にとって大きな支えになっているのです。