「十字架」~不思議な成り立ち~
キリスト教のシンボルの一つとして「十字架」があります。救いや勝利の意味として用いられ、教会の屋根の上、部屋の中、聖堂の中に置かれています。最近はアクセサリーとして首にかけたり耳に付けたりする人達がいます。デザインとしても格好良いのかもしれません。また「異世界」をモチーフにした漫画の中で建物の上に十字架を付けて「教会」を表現しているものもあるようです。このように、一般の人々にも浸透しているのかもしれません。
イエスがこの世を去った後、弟子達だけで宣教する時に、決して「十字架」をシンボルとして用いませんでした。当時のユダヤはローマの属国で、「十字架刑」は、ローマ時代の人間にとって、これほど戦慄と嫌悪感を与える対象は他にありえませんでした。十字架磔刑は、古代アッシリア人の考案とされる極刑でした。目的は征服地の敵兵の処刑でしたが、ただ殺すだけでなく、城門外にさらして、なるべく長く苦しむようにした悪魔の考案物でした。ユダヤ国内では、「十字架刑」が現行の処刑方法だったので、「福音を信じなさい」と言って十字架を見せたら、嫌悪感からもっとひどい迫害にあったかもしれません。だから使えなかったのです。
この「十字架」をシンボルとして用いたのは、異教徒であったローマ皇帝コンスタンチヌスでした。彼は戦いの前晩に夢でキリストの印である十字架を自陣のシンボルとして用いるようにとの託宣を受け、その通りに行動して大勝利を収め、東西に分裂統治されていたローマ帝国の単独統治者となりました。信仰深い母親の影響もあり、自分の統治時代に「十字架刑」を廃止しました。
そのおかげで、「十字架刑」は人々の記憶からおぞましさが消え、勝利の喜びとキリストの「愛の業」が残ることになり、キリスト者たちはシンボルとして用いるようになりました。その後、キリスト教は迫害時代を終え、ローマ帝国の国教の一つとして認められ、信教の自由が保証されていくのです。このように、熱心なキリスト教徒ではなく、異教徒によって、「十字架」の悪い意味やイメージが払しょくされ、人々の心に希望を与え、キリスト教のシンボルとなっていったのです。とても不思議なことです。