『目的は手段を正当化しない』

昼休み、テーブルサッカーで盛り上がっている中学1年生に「日頃みなさんにお願いしていることが守れているかどうか、ちょっと考えて!」というと、様々な意見が出てきます。「ハンドルをグルグル回しすぎなんじゃない?もっと大事に使おう。」とか、「そばでカード・ゲームしている人がいるのに、騒ぎすぎかも。」とか、「たくさんの人が楽しめるようにローテーションするのを忘れてた。」とか…。

  

こんな時にわたしは正解を明かしません。わたしが正解を言ってしまえば「他の意見には価値がない」と取られてしまうからです。みなさんは「模範解答のみが正解」と思わせられて来ました。実に騙されやすく鍛えられている。実際には、それぞれの答えはそれぞれに価値があるのに、簡単に自分の考えを捨て、用意された「正解」に飛びつく。そして、安心するともう考えることを止めてしまう。

  

他人が用意した問題に取り組み、他人に用意された解答に辿り着く訓練をし、自分で問題を見出すことや、自分なりの解決法で試行錯誤することを嫌っていると、やがて有能な奴隷が出来上がる。

 

「自分はそんなことない!」と思いたいあなたに質問です。あなたにとってSDGsって何ですか?なぜ、予めゴールが決められているのでしょう?誰が?何の目的で?なぜ?…そして、それは本当ですか?

  

SDGsは世界について考える切っ掛けをくれます。しかし、何事も「用意されたシナリオに沿って生きる」のではなく、意識して「自分を(召命を)生き」ようとしなければ、やはり奴隷のまま終わってしまうのです。

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