ネット社会になり、専門家と小学生との発言の重さが同等に量られるようになって以来、重要な発言には出典(=ソース)を明確にする必要が出てきました。一方で、嘘の情報を大量に流通させることができるシステムによって、「間違った説が数で優る」現象が起こり、何事にも「諸説あります」と追記されるのが昨今流行りです。

 

情報を吟味するときに、本来ならば「誰が発言したか」よりも「何が言われているか」という部分に焦点が当てられるべきではありますが、実際には中々そうも行かないようです。たとえば、発信者の思想・言動・経験などに考慮した場合、同じ発言内容でも意味合いが違ってくることがあるからです。「誰の言葉なのか」に注目することで、その言葉の真意を突き止めようとする姿勢も必要になって来ます。

 

ところで、多くの場合「誰が言ったか」を重視したり、必要以上に出典を求めたりする傾向は、自分で考えることを放棄したり、自己の判断力を低く評価したりするところから始まっています。必ずしも、証拠あるいはソースを求める姿勢、即ち科学的な視点とは言い難い。「正解のない時代を生き抜く」とか声高に標榜している人々に限って正解に渇望し、証拠を欲しがっている、という厳しい指摘も耳にします。「神がいるなら証拠を示してみろ、そうすれば信じる」という物言いも同様です。自分にとって最も大切な価値観の判断を他人に委ねてしまっているのです。

 

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