世界中にいるボスコニアン
フィリピンからカリタス・ドンボスコ・スクールの生徒さんが来ているので個人的なフィリピンの思い出を一つ。
僕が最初にフィリピンに行ったのは今から約25年前、大学生を引率してマニラ市マカティにあるドンボスコにボランティアに行った時のことでした。空港に降りて、迎えの人と落ち合って、受け入れ先の学校に行く . . . はずでした。しかし30分待ち、1時間待ち、2時間待ち . . . 「迎えの人が来ないな。どうしたのかな。」だんだんあたりは暗くなってきてさすがにまずいなと不安になってきました。先方の電話番号、担当の人の名前など一切控えを持っていませんでした。
今晩は空港で過ごすかと覚悟したその時空港の警備の方が「神父さんですか?」と近寄ってきました。「げっ、追い出される?」と焦って「はい、そうです。日本のサレジオ会の神父です。マカティのドンボスコに行くはずなんですが迎えの人が来ないんです。」と恐る恐る言ったら、急に相手が笑顔になって「そうですか。ドンボスコの方ですね。私は卒業生でボスコニアンなんです。私が連絡してあげますよ。」と電話をかけてくれました。それから1時間もしないうち僕たちは無事にマカティに着いていました。マカティの神父さんたちは僕たち到着は翌日だと思っていたそうです。
フィリピンではたくさんあるサレジオの学校の生徒はみんなボスコニアン、卒業生が「こんなところにもいるのか」と思うほどいろんな職場にいます。卒業しても「ドンボスコ」といえばみんな見ず知らずの人ではないんですね。サレジオ学院に通っている皆さん、サレジオ学院の外にも世界中にボスコニアンの輪があるんですよ。皆さんも将来どこかで困っているボスコニアンに会ったら、「僕もボスコニアンですよ。」と助けてあげてください。