「世界がもし100人の村だったら」という本をご存知でしょうか。その中に、注目したい点は、『100人のうち、20人は食べるものが足りません。100人のうち、25人は明日食べる物がありません。17人は、きれいな水が飲めません。100人のうち、14人は文字が読めません。自由にものが言えない人が48人います。空から落ちてくる爆弾や地雷の心配している20人がいます。』

 

「文字が読めない」「食べ物が無い」「きれいな水が無い」の背景には、戦争があります。今も国内、国外で紛争が起こっています。その影響で学ぶ場所がありません。貧困で生きる権利が侵されています。

 

特に「文字が読めない」ことで、困ることは何でしょうか。それほど困ることはないかもしれないと思いましたが、先日、中学3年生の宗教の時間に「世界一大きな授業」が実施され、その中で教育~識字について体験学習が行われました。

 

『薬を取りに病院へ行くと誰もいません。でも薬は誰もいなくても持って行っていいことになっています。テーブルには3本のペットボトルが置いています。1本は水、1本は毒薬、1本は薬です。瓶には名前が書かれています』。

 

読むことが出来れば簡単ですが、読むことが出来ないと、恐ろしい現実に出会います。分からない、けれども薬を持って行かないと、病人が死ぬかもしれない時、恐怖を感じます。

 

授業では3人の生徒がそれぞれこれと思うものを選び、紙コップで飲みました。毒薬には塩水が入っていたようです。このような体験から、文字が読めないことによって、場合によっては命に係わる不利益が生じることが分かります。

 

識字率の低い国では、戦争によって学校がありません。先生は生きる為に、別の仕事をしています。幸いなことに様々な国の志を持った人々が、そのような国に学校を提供したり、きれいな水を得る技術を開発したり、先生として入国したりしています。私たちは、そのような国が身近にあることを意識すると共に、同じ志をもってチャレンジできれば幸いです。