2023年05月21日

朝の話(阿部神父)「助けて!⤴聖母マリア!⤴」

5月は、キリスト教の習慣では新緑の希望を連想させるさわやかな聖母マリアを御祝い
する一ヶ月です。世界中のサレジオ系の学校では聖母マリアを「扶助者聖母マリア」(「
たすけ手、聖母マリア」[人びとをたすける者としての聖母マリア])という呼び名で呼
びます。

 
この呼び名を初めて聞いたのが、1981年のことでした。ガエタノ・コンプリ校長の語り
によって。当時、川崎サレジオ中学校、サレジオ高等学校、志願院、教会、幼稚園など、
すべての教育施設が鷺沼にありました。

 
彼は「タスケテ⤴セイボマリア」と発音しました。それを聞いた中学時代の仏教徒だっ
た私は、「助けて!⤴聖母マリア!⤴」として理解しました。なぜならば、コンプリ校長
による発音が「タスケテ⤴」という抑揚でしたので中学生の私には「助けて!⤴」としか
おもえなかったからです。「助けて!⤴」ならば、そのあとにつづく言葉もおのずと「聖
母マリア!⤴」として理解されてしまうのです。それで、聖母マリアに対しては「助けて
!」と願うべきなのだと勝手に理解しました。

 
日本では、ほんらいならば「タスケテ⤵セイボマリア」(たすけ手、聖母マリア)と発
音するわけです。しかしコンプリ校長の発音があまりにも印象深かったので、いまでも私
は聖母マリアというイメージに対しては、「助けて!聖母マリア!」という意味内容を反
射的に連想するほどです。

 
私たちは「助けて!聖母マリア!」と叫ぶことができます。「困ったときの母だのみ」
ができるという特権がサレジオの学生には備わっているわけです。

 
ともかく、聖母マリアは私たちの「扶助者」です。聖母マリアがひとりひとりを大切に
養うからです。母親の力強さを発揮するマリアが今日も私たちの叫びを聞いてくださいま
す。ですから、私たちは、すなおに「助けて!聖母マリア!」と叫べばよいのです。ただ
ひたすら、子どものように、すなおに。

 
1981年に心のなかに定着した聖母マリアのイメージは42年を経た、いまでもたしかに色
あせません。「聖母マリアが相手をたすける役目を果たす」という独自の理解の仕方は宣
教師によるそぼくな発音のひびきによって日本の少年の世界観をたしかに刷新しました。
相手を尊敬して親切にかかわりつづけることが「たすける」ことなのではないでしょう
か。そぼくな気前よさ。こむずかしく考えるよりも、まず、単純に親切を積み重ねてみる
だけでよいのでしょう。