「主の祈り」 <その3>

今日は「割れ窓理論」の話題です。

「何それ?」という人のために簡単に説明しましょう。

「建物の窓が割れているのを放置しておくと、誰も注意を払っていないと思われてしまい、

他の窓もどんどん壊されて行く。

同様に、軽微な過失を見逃しておくと、だんだんルーズになり、

やがて重大な逸脱に繋がる」とする理論です。

ちょっとアレンジしてありますが、大体そんな感じです。

 

さて、サレジオの廊下を歩いていて極稀に出会う光景なのですが、ちょっと気になっています。

それは、誰かの所有物…消しゴムだったり、プリントだったり、ポケットティッシュだったりが、

床に落ちている。

そして幾人もの生徒たちが、落ちているそれらに気を留める様子もなく、

平然と通り過ぎて行くのです。

…あるいは単純に、急いでいるあまりそれらが目に入らないだけかも知れません。

しかし、ひょっとしたら「自分のモノではないから、自分には関係ない」

と思っているのかも知れません。

いずれにしても、意識してほしいのは「他者に関心を示す」ということです。

 

あなたが周囲の人に関心を示す行動をとれば、それを見た人が同じように振る舞うでしょう。

あなたが無関心に振る舞えば、それを見た人も無関心であることが当たり前だと

勘違いしてしまいます。これはいただけません。

サレジオ生ならば、主の祈りの「わたしたち」という部分をしっかりと意識し、

勇気をもって実践して行きましょう。

そうすれば、後に続きたがっているたくさんのサレジオ生が、

きっとあなたをバックアップしてくれます。

…信じて下さい。