その日、ヨハネ君は大変な寝坊をしてしまい、遅刻はほぼ確実と思われました。乗り込んだバスが、一々停留所に停まるのももどかしく感じながら、先生に対するベストな言い訳を考えていました。

①宿題を家に忘れたのに気付き、急いで取りに戻ったが、いつものバスに乗り遅れてしまった
②夕べ読んだ本に「世の終わりが近い」と書いてあったので、怖くて眠れずに寝坊してしまった
③母親が包丁で指を切ってしまい、手当てをして上げていたら、思ったより時間が過ぎていた

「ヨシ、3番だ。いつも『思いやりを持とう』と言っている先生には3番しか無い!」そう思い至ると、なんだか、堂々と胸を張って遅刻できるような、そんな気にさえなって来ました。

 足音を忍ばせ、そうっと教室のドアを開けると、先生と目が合いました。結構厳しい表情ですが、大丈夫。今日の言い訳…じゃなくて、3番の遅刻理由はきっと先生を納得させるはずです。先生が「なんで遅刻したんだ。理由如何では承知しないぞ…」と言い終わる間もなく、ヨハネ君は胸を張ってこう答えました。「済みませんでした、先生。3番です!」
 
 人は目の前にある情報を高く評価する傾向があります。また、「これはいい!」と思った瞬間に、他のことを一瞬忘れてまったりするものです。この傾向を知っていて意識しているのと、全く気付かないでいるのとでは大きな違いが生じてきます。交流のためのスポーツが、勝ち負けに拘った泥仕合になったり、力を合わせるための集いが、非協力的な人を指弾する場に変わってしまったり…。サレジアンの諸君には、目の前の情報だけに惑わされず、本当の目的を決して見失わないでいて欲しいと思います。体育祭が近づいています。体育祭の目的をきちんと見つめながら仕上げをして行きましょう。