私ではない
争い
数人の小学生が言い争いをしている場面に出くわしました。放っておいて喧嘩に発展するのも困るので「どうしたの?」と声を掛けてみたのですが、帰ってきた答えはてんでんばらばら。誰一人として同じことを言わないので、何が真実かさっぱり分かりません。…実は小学生くらいだと、こういうことは良くあるものです。自分の感情に支配され易く、落ち着いて、冷静に、客観的に物事を観察したり分析したりすることができませんから、正確に状況を把握することも、順序立てて人に説明することもままなりません。そこで「一体何が原因なの?」と訊いてみると、今度は「あいつが!」と言いながら一斉に指をさすのですが、その指さされた方向がまた滅茶苦茶。なぞると星が描けるくらいなのです。
このままでは埒が明かないと思い。一旦皆を落ち着かせ、「一番の原因は、君たちのそういう考え方にあるんじゃないかな?」と問いかけました。「自分は少しも悪くない。自分以外の誰かが全面的に悪い。皆がそういう考え方をしているから喧嘩になるんじゃないの?自分にも悪いところが有ったって認める勇気のある人は居ないの?」すると次第に顔を曇らせ始めました。どうやら何を指摘されたのか理解できたようです。自分の過ちに対して、責められる経験ばかりで赦される経験が足りていないと、このように「自分は悪くない、他の誰かが悪い」という考えに固執し、強く主張するようになるものです。「自分は悪くない。他の誰かが悪い」と言う考え方は、未熟さそのものと言ってもいいでしょう。
ところで、このような未熟な考え方をしているのは、何も子供に限ったことではありません。時として大人でも、更には国の指導者のような人たちでも、このような幼児性を振り回すことがあります。しかし、国際的な場面でこれをやられると「よろしい、ならば戦争だ!」となり、大変危険です。このような危険を回避する方法はといえば、まず、私たち自身がこのような考え方から早く卒業することです。自分だけが正しいなどと考えるのは愚か者のすること。一人前の男のすることではありません。
榎本飛里