不自由を選び取る自由
暑い季節が近づいています。しかし、サレジオ学院では、そこかしこにウォータークーラーがあり、いつでも冷たい水をも飲むことができますし、生徒ホールには清涼飲料水やアイスの自動販売機があって、暑さを凌ぐことができます。つまり、欲しいときに欲しいものが手に入る、…恵まれていますね。このように、「やりたいときにやりたいことができる」状況を人は「自由」と呼びます。ところが、のどがカラカラに乾いていて目の前においしい水があるのに、それを飲もうとしない人たちがいます。…たとえば、減量中のボクサー。彼らは、渇きの中で水を飲む喜びと、苦しみの先にある自分の目標とをじっくりと見比べ、深く考えた末、自分の意思で「水を飲まない自由」を選び取ります。「水を飲みたいから飲む」というのが、自由な行動とは限りません。ただ欲望に従っているだけの場合も決して少なくありません。人は、何も考えずにできるようになったことを、何も考えずに行うようになる傾向を持っています。考えなしに行っていることは、本当の意味での自由の行使ではありません。本当の自由とは、苦痛・不便などの困難を乗り越えて行く力のことです。ですから、本当の自由を手にした人は、とても強い。そして、本当に強い人というのは、実に自由に生きているものです。もうじき、試験という試練が君たちを訪れます。この困難に堂々と立ち向かう自由を、是非、選び取ってください。応援しています。