『和をもって貴しとなす』
聖徳太子が十七条憲法の冒頭に掲げた「和をもって貴し(たっとし)となす」という言葉は、元々「論語」が出典です。
孔子(孔先生)は紀元前5世紀頃の人物で儒教を確立しました。論語は、孔子(孔先生)と弟子との対話形式の本で、中国と同じく、日本でも任官試験として採用されていたので、多くの日本人はこれを学んでいました。
孔子の弟子の有若(ゆうじゃく)が、こう語っています。「礼の用は和を貴しとなす。先生の道もこれを美となす。」
礼とは社会生活の規範ですが、それの実践にあたっては、和の心が根本になければならない。古代の聖王(真の王)の道が優れていたのも、この和の心があったればこそだ、というのです。しかし、有若は、「和」だけを最も大切なものとして、推奨しているわけではありません。彼はこうも語っています。
「しかし、どんな場合でも和の心さえあれば、十分だというわけではない。いかにも和は大切だが、一方で礼による折り目が無いと、せっかくの和もうまくゆかぬことがある。」
つまり、和だけが先行するのではなく、それと同時に社会生活の規範がしっかりと確立されていなければならない、というのです。
この言葉を採用した憲法には、この考え方が根底にあったのです。