イエスの教えの中に、聖書の慣用句やことわざ、言い伝えなどが引用されることがあります。その点に注目すると、かなり博識だったことが分かります。イエスの学識は特別だったのでしょうか。当時の教育事情の文献から読み解くと、それほど特別なことではないようです。

 

『5歳で成文律法(聖書)を学び始め、10歳で口伝律法(ミシュナ)を学び始め、掟を守る年齢である13歳で成人式(バル・ミツパ)を受け、15歳でタルムードを学び、18歳で結婚、20歳で往く道を定め、30歳にして力あふれる。』と言われていました。30歳は学んだ結果が発揮できる年齢で、イエスはこの年齢から家を離れて宣教を始めています。

 

ユダヤ教の教育は5年間聖書を学び、次にミシュナを5年間、更にタルムードを生きている限り学び続けるということです。

 

村や町には、聖書の言葉を聴いて祈る場所であるシナゴーグと呼ばれる会堂がありました。ユダヤ教は、勉強と祈りの両方を大切にしていたので、子供たちの学びの場は会堂で行っていました。賢者たちは繰り返しを学びの鍵とみなしていたので、子供たちに聖書を声を出して暗誦させ、記憶に刻み付けるよう指導していました。

 

タルムードには、『100回繰り返して暗誦する者は、101回繰り返す人には遠く及ばない。』とか『律法を学んで繰り返さない生徒は、種を蒔いて刈り入れない人と同じである。』とあります。

 

イエスは熱心なユダヤ教徒の両親に育てられ、当時の慣習に従って頭に刻み込み、更にその時代の宗教書について学習したと考えられます。また、ガリラヤという教育レベルの高い地域で学べたのも良かったかもしれません。

 

自分の往く道である使命や目的を見据えて、かなり膨大な量を暗誦したのかでしょう。自分に与えられた使命や目的や目標に気が付けば、人間はかなり頑張れます。皆さんも自分の往く道を見出したら、ぜひともチャレンジしてみてください。