『そこはかとなく思うこと』

(谷神父様は現在入院加療中につき、定光教頭先生による寄稿文を掲載いたします。谷神父様の早期退院を願い、お祈り下さい。)

 

「イエス・キリストは復活されました!」「真に復活されました!」

 

412日(日)はカトリック教会にとって1年で一番大切な祭日、復活の主日(復活祭)でした。教会は毎年、復活祭の前の週から聖週間と呼ばれる特別な期間に入り、特に木曜日からはイエスの受難と死を黙想し、キリストの復活へと希望をつないでいきます。

 

教皇フランシスコは327日(金)の夕べ、バチカンからローマと全世界に向け教皇祝福「ウルビ・エト・オルビ」を与えられました。その祈りの中で、新型コロナウイルス感染症で全世界が苦しむ今を「選びの時*1」と表現され、現在を「・何が重要で、何が過ぎ去るものか、必要なものとそうでないものを区別する時・人生の指針を、主と、他の人々に向けて定めなおす時」であると定義しメッセージを発信されました。

 

また、復活祭においては「希望*2」の大切さを、415日(水)のビデオを通した一般謁見では、苦難における「キリストに倣う者」として、他者と「連帯*3」することの意味合いとそれを実践していくことの重要性を語られました。今このような時だからこそ、私たちはお互いの希望と連帯のため、賢明に行動し協力し合っていくことが望まれています。

 

話は変わりますが、これまでの新型コロナウイルス感染症に関連する様々な出来事を振り返ってみる時、2つの話、ドメニコ・サビオ*4の1つのエピソードと、ドン・ボスコの見た夢が思い出されます。

 

そのエピソードというのは、ある時、ドン・ボスコから「もし明日死ぬとすれば今君は何をしますか」と尋ねられたドミニコ・サビオは「遊びます」と答えたという話です。ドミニコ・サビオは決しておふざけでこう答えたのではありません。至って自然に「普段通りいつものことをしますよ」という意味の返答をしたというのです。どのような信念が彼にこのような言葉を語らせたのでしょう。このような言葉が何のためらいもなく出てくるというのは、とても凄いことだとつくづく感心してしまいます。

 

もう1つは、ドン・ボスコの2つの柱の夢の話です。大変な嵐の中、教皇様が乗った船が敵艦隊から猛攻撃を受け窮地に陥ったとき、突如2本の柱が海から現れ、教皇様を乗せた船がそちらへ針路を取りその柱に船を固定させると、嵐は止み敵艦隊は大混乱に陥り沈んでいった。そして、その2本の柱の上には白い大きなホスチア(御聖体)とマリア様のご像があったと言う夢の話です。今新型コロナウイルス感染症という嵐の真っ只中にあって、この話は何か重要な示唆を私たちに与えてくれているように感じられてなりません。

 

ところで、日本には元号があり、昨年から令和という新時代が始まりました。暦は日本でも世界で一般的なグレゴリオ暦(西暦)を使用していますが、ギリシャ正教など東方教会などではユリウス暦を使うため、昨日17日(金)が正教会の暦では聖金曜日、そして、明日4月19日(日)が復活祭はとなっています。ルーツは同じイエス・キリスト。ローマ・カトリック教会もプロテスタント教会も、また、東方教会やその他のキリスト教会も今後は同じ日に皆一致してキリストのご復活を御祝いできたらなんて素晴らしいことでしょう。

 

このようなことをそこはかとなく思う今日この頃です。

 

 

*1:https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2020-03/momento-di-preghiera-in-tempo-di-epidemia-omelia.html

*2:https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2020-04/sabato-santo-veglia-pasquale-20200411.html

*3:https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2020-04/pasqua-urbi-et-orbi-20200412.html

*4:ドミニコ・サビオ:カトリックの聖人。12歳の時にドン・ボスコのオラトリオに入学。15歳で帰天。