数年前の朝日新聞の特集記事に「茶道の濃茶はキリスト教のミサ聖祭から由来するのでは」という記事が掲載されていました。千家茶道の家元が20数年前から研究し、そのように考えているという記事でした。私が持っている裏千家の家元の本には、キリスト教のミサの所作を千利休が取り入れたと書いていますし、私が学んだ松尾流の茶道の先生や裏千家の先生方も同じようなことを言われていました。
 今回の研究内容は、キリシタン時代の神父たちはミサの時、杯に入ったブドウ酒を回し飲みしていたのを見た人が、茶道にその所作を取り入れ、心和やかなものにしたという点です。現在の濃茶にその痕跡が残っていると主張しています。日本に無かった風習がどこから来たのかを探求した結果、得られた真実です。残念ながら、確かな資料はバチカン古文書館に所蔵されているようです。いつかその資料が公開されて、キリスト教との関係が分かる日が来るかもしれません。
 キリスト教徒茶道の関係は明白ではありませんが、サレジオ神学院ではミサの所作が茶道に伝えられていると考え、神父養成の段階で杯の拭き方などを学ぶために、茶道を学ぶ手はずを整えてくれました。また祭壇の上は「舞台」であるという見方をする神学校の先生たちの勧めで、能楽を見学し舞台の上での足の運びや表現を学びました。今はなくなってしまったものが、異文化の中で見いだされ、それを継承していくのが、今の時代の定めなのかもしれません。