音楽のない学校、それは魂のない体である
おとなし学校
『音楽のない学校、それは魂のない体である』
この言葉はドン・ボスコのことばです。体には魂があって初めて人間らしさが生まれてきます。頭や体があり、姿形が人間であっても魂がなければ人間らしさが感じられません。ドン・ボスコが目指した学校は、勉強をするだけ、社会のルールを学ぶだけ、あるいは体をつくるスポーツをするだけの学校を目指したのではなく、心を養う学校づくりを目指していました。
ドン・ボスコ自身の学校生括は厳しいものでした。「もし僕が先生だったら、自信を失うような学校ではなく、可能性を信じ、良い所を引き出す学校にしたい。何よりも喜びを感じられる学校にしたい」と考えていました。
特にドン・ボスコは子供時代からみんなが喜ぶ姿を見たくて、手品や曲芸などをプロの人から学び上演していました。人間は「喜び」や「喜ぶ」体験をすることにより人生を豊かなものにできることを見てきましたし、体験もしました。
そういう下地があったので、学校を作る時、校則に音楽や芸能を随時披露できることを書き加えました。音楽や演劇は新たな自分の発見と感性を豊かにしてくれます。何よりも仲間との連帯を生みます。学校生活の潤滑剤であり、魂のような存在となりました。これにアッシステンツァ、共にいる先生の在り方が加わり、先生と子供たちが音楽や演劇を随時上演する伝統が根付きました。
これがサレジオ会の学校の伝統となり、いつしか校則で規定しなくても学校の魂として定着しました。
サレジオ会の学校で過ごす中で、音楽や芸術に触れて、自分の中の感性を養い、潤いのある人生を歩んでほしいと、今もドン・ボスコは願っています。
谷 聡史