「書と絵画の共鳴現象に由来する『自画自賛』』
先日谷副校長先生から「実るほど首を垂れる稲穂かな」と謙虚さについてお話がありました。今日はその逆の話を。
誰かが「俺ってすげ〜んだぜ」と得意げに話をすると、「また自慢かよ」って引いてしまいますよね。まぁまぁちょっと落ち着いて。「う〜ん、この状況を表すのは『自画自賛』という四文字熟語がふさわしいかな」と冷静に分析することも大切かもですね。
「自画自賛」とは、そのまんま自分の描いた絵を自分で褒める、つまり自慢話をするということですね。ところで「自画自賛」の「賛」にはもう少し日本文化固有の背景があるんですよ。
最近私は日本画の中でも琳派というグループの絵師たちに興味があり、美術展にも行きます。美術展に行くと琳派の絵だけでなく広く日本画、中国伝来の水墨画なども展示されています。多くの日本画はヨーロッパの絵画の異なり、余白の部分、何も描いていない部分がありますね。
実は、その余白に和歌や俳句、漢詩などが書かれているものがあります。その絵の余白に書かれた詩や歌のことを「賛」といいます。「賛」とは、絵を見て感動したり、インスピレーションを受けたりした人がその絵にまつわる和歌や漢詩思い浮かべ、余白に書いたものなのです。絵をみた人の画家へのトリビュートが「賛」なわけです。
このように「賛」は他者へのリスペクトですから、「賛」を自分で書いたら自分へのリスペクトと鼻持ちならない話になってしまう、つまり「自画自賛」なんです。「自画自賛」の「賛」にはこのような日本文化の背景があり、そこでは絵画と書という二つの世界が響き合っているわけですね。まさに絵画と書の「共鳴」なんです。
「稲穂」にしても「自画自賛」にしても、「謙虚さ」が他者へのリスペクトを引き出すものだと教えています。イエス様は宴会に参加する偉い人々に「なるべく下座に座るように」と勧めました。社会の中で優遇された人こそが率先して差別されている人に心を配る様にと教えたかったのでしょう(ルカ14章7〜14節)。「誰でも高ぶるものは低くされ、へりくだる者は高められる(ルカ18章14節)」というイエス様の言葉も心に留めておきましょう。