赦す

「タイム」という雑誌の1984年のある記事の写真には牢獄で語り合っている二人の男の人が映っています。一人は白い服を着た歳をとったヨーロッパ人、もう一人は青いジーンズをはいた若いアラブ人です。彼らは向かい合って静かに語り合っています。年を取った男の人は手を差し伸べ、若い男の手の握りしめました。実はその若い男の手にはかつて銃が握りしめられていたのです。遡ること1981年その手の中にある銃から発射された銃弾は、その老人の体を貫いたのでした。
さてこの二人は誰でしょうか。若いアラブ人の名前はアリ・アッカ、そしてもう一人の人はヨハネパウロ二世でした。ヨハネパウロ二世は自分の命を奪おうした手を握ることによって、その男の人を赦し、それを本人に直接伝えたのでした。
20分の会話の後、アリは敬意の念を込めてヨハネパウロ二世の手を自らの額に押しあてました。そしてヨハネパウロ二世は何千もの言葉で語る以上に、赦すことの意味、憐れみ深い神を世界の人々に伝えたのです。
この前の日曜日はヨハネパウロ二世が定めた「慈しみ深い神の日曜日」を全世界で祝いました。そして皆さんも知っているように、この日ヨハネ23世と共にヨハネパウロ二世教皇は聖人の位にあげられました。  確かに私たちにとって大きなチャレンジである「赦すこと」は神様にとっては自分を表す姿であり、そして「赦すこと」に私たちが招かれていることをこの日は教えていると思います。

 

鳥越政晴