今年の6月ごろからネット上に紹介されはじめたある画像。シーツに覆われたストレッチャーに向かって医師団が深々と頭を下げているものですが、多くの人々の感動を誘って来ました。ストレッチャーに寝かされているのは11歳の少年。末期癌に苦しむ中にあって「臓器を提供したい」という望みを打ち明け、遺族と医師団が彼の遺志を尊重したのです。この高潔な精神を持つ少年の遺体と、その魂とに敬意を表し、医師団は最敬礼をせずには居られなかったのでしょう。

ところで、科学的思考を旨とする人々のうち少なからぬ人が「人は死んだら無になる」と考えているようです。もし本当にそうなら、この医師団は一体何に対して敬意を表しているのでしょうか。遺族の心象を悪くしないように体裁を整えているだけで、心では「少年は無に帰ったのだから敬意を表すのは意味がない」とでも思っているのでしょうか。…私はそう思いません。この医師団は間違いなく、少年の心に対して敬意を払っている。

当たり前の話かも知れませんが、私には「死後も人の意識は存続する」ということを科学的に証明することはできません。しかし、死者や遺体に対し礼を尽くせないような人間にだけはなりたくない。これは、科学のみを信奉すると主張する人々でも同様なのではないでしょうか。だとしたら、心とは脳内の電気的・化学的反応であると結論付ける一方で、その反応の停止した遺体に敬意を表する矛盾を、彼らはどのように克服するつもりなのでしょうか。是非、皆さんも考えて見てください。