昨日は、下校時に雨が降っていました。試験前なので皆一斉に帰るものですから、一時は、昇降口から正門まで、傘を差したサレジオ生で埋め尽くされていました。その姿を眺めていて、ふと感じたことがあります。
 昨日のその時間、なぜか正門は閉じられたままでした。君たちは一人ひとり、脇の通用口をすり抜けて下校して行きますが、誰一人として機転を利かせて校門を開けようとはしないのです。そのため、通用口の前には渋滞が出来ているにも関わらず、まるで関心を示さない。「愛の反対は無関心です」なんて言葉を何度耳にしても、結局、誰もその言葉をモノに出来ていない。”Faccio io!”(「わたしがやります」という意味のイタリア語)がサレジオの精神だなんて言われ続けても、少しも他者の役に立とうとしない。世の間違った個人主義を考えもなく受け入れて、すっかり飲み込まれてしまっているかのようです。…少しは戦ったらどうだろうか。
 昇降口を出て、ちょっと先を見通せれば、そこで何が起こっているかは容易に理解できるはずです。そこに不自由をしている人たちがいること。そして、その問題はやがて自分にも訪れるということ。しかし、自分にはそれを解決するだけの能力があり、それを惜しみなく提供することで、後に続く人々の道が開けるということ。これら全てを瞬時に判断できれば、自分が何を為すべきかが見えてくるでしょう。自分の使命を見出すことができた人は、苦しみを乗り越える力を持っています。
 サレジアン諸君!視野を広げよう。先を見通せる眼を持とう。周囲の流れを見極め、人に思いを馳せよう。「あなたに必要なものはすべて与えてある」という神の言葉を信じて、人を幸せにできる男になろう。ゴールをそこに置く人は、自分も必ず幸せになれると保証します。将来の君たちの活躍に、大いに期待しています。頑張ってください。