“Speech is silver, silence is golden”
「映え」って言葉ありますね。皆さんはインスタやっていますか?SNSのお陰で自分の感動を他の人と簡単に共有することができます。感動の共有、確かに。でもあまりの言葉や映像の氾濫の前に、つい「これって感動の押し付けじゃない?」とか「感動はそんなに簡単に人に伝わるの?」とかと思う時があります。あえて言葉にせず、そっと自分の中に納めておきたい、そんな感動もあるんじゃないかと思ってしまいます。
実は松尾芭蕉もそんな体験をしたのではないかと思える場面が「おくのほそ道」にはあります。ということで2週連続で松尾芭蕉に登場を願うことにしましょう。
芭蕉は先達が歌に詠んだ名所を巡り、そこで彼らの感動を追体験しようとしました。中でも白河の関や松島は旅のハイライト、どうしても外せない場所でした。着く前からワクワク、どきどき、居ても立ってもいられない様子がうかがえます。
そしてついに西行も訪れた地に . . .さぞかし素晴らしい句が浮かんだでしょう . . . な、なんとそこでは芭蕉は句を詠んでいないんです。どうしてか分かりません。ただ「おくのほそ道」は芭蕉が旅の後、何年もかけて推敲に推敲を重ねたものだそうですから、白川の関や松島での句を載せていないのはそれなりの理由があったのでしょう。
もしかすると彼は、極上の感動は人の言葉を超えたもの、自分の心の中に秘めておきたいものなのだと言いたかったのかもしれません。「よろづの事の葉」に対する彼なりの沈黙の返答だと言ったら言い過ぎでしょうか。
朝の話では「共鳴」「共鳴」と連呼してきたので、今日はあえて「他の人の共感を求めて『映え』に走るのではなく、ひとまず自分の中でそっと感動を抱き締めておくのはどう?」というお話でした。諺にも speech is silver, silence is golden. という諺もありますからね。