谷神父様のお話にもあったように、11月はキリスト教では死者の月、22日には慰霊祭のミサがあります。さて今日はそれにちなんで、「死者の声を聞く」と言うテーマで考えみましょう。「死者の声を聞く」と言っても怪談話ではありません。

 

まず「死者の声を聞く」とは私たちの身近で亡くなった方に思いを馳せることです。慰霊祭でも今年亡くなった方のお名前を奉読し追悼します。それは私たちを愛し、私たちに命を届けてくださった方々に感謝の気持ちを表すことです。亡くなった人のことを思い出すことは同時に命とはいただいたものであることを強く意識することでもあります。

 

次に「死者の声を聞く」とは、歴史から学ぶこと、人類の遺産としての制度、規範の価値を学ぶことです。私たちはともすると、過去の制度、規範、価値基準は「時代遅れ」、「現在に通用しないもの」と考え、逆に自分たちの生きている現代こそが、最も豊かで優れていると思ってしまいます。

 

しかし哲学者オルテガは、今起こりつつある変化がより良い社会を約束すると信じこむことは危険だ言います。変化は常に現在進行形であり、最終的な評価はまだ誰にも分からないからです。

 

私たちは過去の人々より賢いという保証はなく、ましてや万能者ではありません。先人たちの知恵に謙虚に耳を傾け、そこから今を選択すること、それがオルテガの言う「死者の声を聞く」ことです。

 

最後に「死者の声を聞く」とは、さまざまな理由から、志半ばで亡くなった人々、未来ある人生を突然奪われた人々に心を馳せることです。それは翻って今ある命を大切にすることにつながります。

 

命は過去から、そして最終的には神様からいただいた賜物です。自分の命、友達の命を大切にしましょう。具体的には日常の学校生活の中で仲間を大切にするということです。仲間にかける言葉遣いをサレジオ生徒して品格のあるものとし、また助けを必要としている仲間に対して Faccio io の精神で自分から行動を起こせるようにいたしましょう。