2023年06月08日

朝のはなし(阿部神父)「スポーツマンシップ①」

みなさん、おはようございます。体育祭、おつかれさまでした。今日は、「スポーツマンシップ」についてお話します。つまり、「選手の礼儀作法」ということについてです。

 
むかしから読み直している本があります。吉村昭という小説家が書いた『海の史劇』という本です。歴史の「史」に、演劇の「劇」という字です。この本は、いまからおよそ50年前、つまり1972年に新潮社から出版されたものです。

 
この本は、日本文学史上、「記録文学」という新しい表現をつくりだした記念すべき作品です。実際に、その内容は「日本海海戦」をあつかっています。

 
いまから118年前、つまり1905年にロシアは日本に攻めて来たことがあります。ロシアは常に長い冬を経験して、港が凍りついて使えない苦しみを味わい経済活動にも支障をきたしていました。そこで、いつでも使うことのできる新しい港を見つける必要がありました。それゆえ、ロシアは日本の北方領土や北海道をはじめとする良質な港をねらっていました。

 
日本を占領することは、ロシアの経済活動にとって必要なことでした。戦争というものは、基本的に自分の国を豊かに発展させるために仕方なくする最後の手段でした。

 
一方の日本も1900年代の中頃に向けて中国の北東部を占領しようと計画し、実際に人工的な国家としての満洲国を建国しました。そういう広大な土地に日本人のための作物をつくる畑や地下資源つまり石油や石炭などを採掘する施設をつくろうとしていたわけです。むかしから、それぞれの国は自分たちの国を支えてゆくために良質な土地を数多く占領して農作物や資源を手に入れようと画策していたのです。

 
ロシアは日本の海を占領して日本の土地を奪いにきたわけですが、そのときの最期の闘いが日本海海戦でした。日本海で行われた軍艦同士の接近戦です。

 
当時の日本の軍人たちは、ほとんどがイギリスに留学して勉強していた人たちです。彼らは英語が得意で、国際情勢をじゅうぶんに知り尽くしており、人間の権利を守る道徳的な価値観をも身に着けていました。

 
日本海海戦の結果、日本がロシアに勝利しました。そのとき、日本の海軍軍人たちは、海でおぼれているロシア兵たちをすぐに引き上げて日本の海軍病院に運び込んで助けた経緯があります。戦争が終わった時点で、すぐに敵のいのちを護るという考え方が当時の国際条約では当たり前だったからです。

 
イギリスなどに留学した日本の海軍軍人たちは人間を護ることの重要性を理解して、どう行動すべきかの根本的な規律を身に着けていたわけです。闘いのときは、徹底的に自分たちの国の利益を最優先して自分たちの価値観を主張しますが、闘いが終わったあとでは徹底的に相手をかばって同じ人間として処遇する。そのような発想は現在の私たちにとっても重要となります。

 
そういう価値観は、どこから出てきたかと言うと、よく調べてみるとキリスト教の動きから出てきています。明治時代に海外と闘っていた日本の軍人たちも意外とキリスト教の影響を受けています。

 
たとえば、この日本海海戦で闘った東郷平八郎将軍は、もともとは西郷隆盛の弟子でしたが、恩師が漢訳聖書(海外のキリスト教の宣教師たちが日本にキリスト教を伝えようとしても江戸時代以降の日本の鎖国のために日本に入れなかったので中国まで進出して聖書の内容を漢文で翻訳しておいたのです)を大事に読んでいたことも見ていました。そして、東郷の部下だった山本信次郎という軍人もカトリックの立場のキリスト教の洗礼を受けていました。

 
彼らは、とくに「敵をも愛せよ」という聖書の言葉を大切にしていました。西郷隆盛自身が聖書の言葉に影響されて敵将をゆるして協力者として迎えたことは東郷や山本にも受け継がれたわけです。それゆえ、彼らもまた、闘いに負けた相手をかばうことを重んじたのです。

 

 

ここに、闘いとキリスト教信仰とに意外な共通性が浮かび上がってきます。最初はそれぞれの生存のためのこだわりや都合があったとしても、最終的には、「相手を人間として尊敬して支える」という姿勢です。