世の人の見つけぬ花や軒の栗 芭蕉
皆さん栗というと何を思い浮かべますか?イガのトゲトゲ、あるいは栗ご飯、天津甘栗でしょうか。ところで実がなる前の栗の花を知っていますか?ちょうど今が開花の季節ですが、そもそも栗に花が咲くことも知らない人が多いのではないでしょうか。そう栗の花は地味で、ひっそりと咲いている花なんです。だから視界に入っていても気づかない . . . そんな栗の花を愛でた人がいます。それが松尾芭蕉。彼は「奥の細道」でこんな句を読んでいます。
世の人の見つけぬ花や軒の栗
この句は芭蕉が現在の福島県須賀川に住む可伸(かしん)という人を訪れた時に詠んだ句です。可伸は僧侶であり世捨て人、小さな庵を結び暮らしていました。でも周りの人は可伸を気にも止めていませんでした。芭蕉はそんな世間から見向きもされない可伸の真摯な生き方をひっそりと咲く栗の花に託してこの句を詠んだわけです。
この句を詠んだとき芭蕉の頭にはもう一人のお坊さんがいました。それは行基というお坊さんです。行基は奈良時代のお坊さん、貧しい民衆を救うため社会福祉や土木事業にあたりながら全国を行脚し、仏教を説いてまわったお坊さんです。旅人行基は松尾芭蕉がリスペクトする大先輩でした。芭蕉がなぜここでいきなり行基を引き合いに出すかというと、これも栗の木なんですね。「そういえば行基さんは栗の木を削って杖や柱に使っていたなぁ」と芭蕉は感慨に耽ります。やはり栗つながりなんですね。
僧侶の可伸や行基が栗の木を大切にするには理由があります。栗という字、どう書きますか?西の木と書きますよね。西は仏教では阿弥陀様の住む世界、極楽浄土を指します。「西の木」の栗、仏教ではありがたい木だったわけです。ひっそりと咲く栗の花が芭蕉と可伸と行基を結びつけたんですね~。栗が教える「人の評価など気にせず信念を貫く聖(ひじり)の生き方」、何とも味わい深い句ではないですか。