2023年06月29日

心の想い100%、身体表現70%——坂本龍一『Playing the Piano 12122020』という作品

2023年3月28日に、71歳でこの世を去った作曲家の坂本龍一(1952-2023年)の最期のライヴ作品がCD化されたものが『Playing the Piano 12122020』(エイベックス、2021年)です。いくたびもの癌の再発と転移による体調不良と闘いつつも最期まで音楽を創り続けた藝術家の想いが丁寧に込められた作品です。その後『12』(エイベックス、2023年)という新作オリジナル・アルバムも1月17日に発表されました。再起をかけて仲間に感謝を示す姿勢はキース・ジャレットの『The Melody at Night, with You』と似ています。

 
ピアノだけで奥深い響きをさりげなくつむぎだす坂本の演奏は、音と音のあわいの独特な沈黙を聞き手に感じさせます。「独特なコントロール」を施す表現方法です。まさに余白の美しさが際立ちます。ちょうど14世紀の日本の室町時代の演劇藝術家の世阿弥が「動十分心、動七分身」(註1)つまり「心の想いを100%いだいているときに、70%の身体表現だけで動くと一番美しい演技で相手を魅せることができる」と述べたことを彷彿とさせます。

 
100%の心の想いを70%だけの身体の動きで表現するわけですから、「つつましさ」が生じます。「奥ゆかしさ」です。あるいは「謙虚な姿」が印象に残ります。「能ある鷹は爪を隠す」ということわざとも共通する境地です。それは古代の日本で「余情」(隠された無限の想いが秘められて、奥深い状況)(註2)と呼ばれていました。もしも100%の想いを全部さらけだして相手にぶつければ、暑苦しくなります。うざい、と嫌われます。しかし、自分の感情を抑制して70%ほどで気持ちを表現すれば、30%のすきまができ、相手の心にも考える余地を与えるとともに、ほどよい爽やかさが残ります。

 
皆さんも、「オレは勉強が出来るんだぞ」と自分の能力を100%自慢するような威圧感を備えた同級生とはいっしょにいたくはないでしょう。むしろ、すごく実力がありながらも、それをおくびにも出さずに、ひたすら話を聞いて親切に支えてくれるような謙虚な同級生とは友だちづきあいをつづけたくなるはずです。「独特なコントロール」を施す表現方法で相手を絶妙にアシストする、さりげない思いやりはカッコイイものです。

 

 

(註1)「動十分心、動七分身」(どうじゅうぶしん、どうしちぶしん)は、世阿弥『花鏡』に出てくる演技論の極意です。役者の心の想いが100%の場合、身体を70%だけ動かして表現すれば、観客の心の想像力には30%の余地が生まれて独特な感銘を与えることができる、という演劇効果のことです。『花鏡』のテクストは以下の文献を参照のこと。
表章・加藤周一編『芸の思想・道の思想 世阿弥・禅竹』(日本思想体系新装版)、岩波書店、1996年。

 

(註2)「余情」とは、「しみじみとした情趣」あるいは「言葉で言い表せない豊かな味わい」のことです。日本の平安時代以降、鎌倉時代や室町時代にかけて洗練された和歌における美的理念のひとつです。藤原俊成や藤原定家による発想です。