2023年09月07日
森一弘司教様をなつかしくしのぶ
先日、9月2日(土)に森一弘司教様が病気療養中に亡くなりました。84歳でした。
森司教様は長年、日本のカトリック教会の学校教育委員会などでも活躍され、数多くの教職員や事務職員の研修や学生の行事でも講演をされました。私も森司教様と信濃町の真生会館学習センターで24年以上も一緒に働いたばかりか、いまから10年前の2013年に彼の著書の「解説」を担当しました。森司教様は穏やかでやさしく謙虚な人柄の素朴な指導者でした。
それでは、森一弘・五木寛之対談『神の発見』学研パブリッシング(学研M文庫)2013年9月24日、278頁から280頁を引用します。なお、五木寛之さんはロシア文化の研究者かつ著名な小説家です。二人の対話は絶妙な間合いを伴う心の響きそのものです。
五木寛之「森さんが、ああ、神はいらっしゃるんだ、という実感をもたれた瞬間はいつですか。(中略)」
森一弘「中略。大学二年生のときだったと思いますが、試験を終えた二月、私を含めた四人の仲間で、冬山に挑戦したことがあります。中略。その時期、谷川岳や北アルプスでの遭難事故が、毎日のように報道されていました。そんなときに、怖いもの知らずの私たちが冬山に挑戦したのです。いざ、登山口から山小屋目指して登りはじめたとき、積雪が深く、道に迷い、あらぬ方向に行ってしまいました。冬山の日の暮れるのは早く、日が暮れてしまうと、完全な闇です。私たちは、それ以上歩いては危ないと判断し、大きな岩を見つけ、その陰で一晩を過ごそうと決めました。結果として、それで助かったわけですが、そのとき、遥かかなたでしたが、山のいただきに、山小屋からもれてくる光を見たのです。その瞬間、私をとらえていた、死の恐怖や不安が消え、気持ちが本当に楽になりました。現実は変わらなくとも、光が見えるのと、見えないのとでは、大変な違いです。それと同じように、信仰とは、遥か遠くに輝きながら、闇のなかで、寒さに凍える私たちを、支え導く光ではないかと思えたのです。その光が、私にとっては、神の発見だったのです。」
五木寛之「ああ、光としての神、闇を照らすエネルギーとしての存在ですね。」
森一弘「ええ。私たちを包みこむ、光があるという信仰に徹していれば、私たちの活きている現実も、自分のなかの醜さや、罪深さは変わらなくとも、こころの奥は、穏やかに安らいでいきます。」
五木寛之「(中略)森さんのお話をうかがっていて、なにか目に見えない希望のようなものを感じることができました。ありがとうございます。」