2024年05月30日
朝のはなし特別編「瞬間」(カテキスタ部・関原先生)
みなさんは『瞬間』という言葉から、何を考えますか?
ある人は、中国の故事の「邯鄲の枕」を思い浮かべるかもしれません。ある青年が旅に出て、宿で仙人から枕を借りて寝ます。すると50年にわたる人の一生を楽しむ夢を見ます。目覚めてみると、宿の主人が炊き始めたご飯は、まだ炊きあがっていません。わずかな時間しか経っていませんでした。このように、現実世界とは違い、夢の中での時の流れは『瞬間』に過ぎないことが表されています。
ある人は、17世紀にニュートンやライプニッツが確立した「微積分法」を思い浮かべるかもしれません。ニュートンが「微分」を通じて「瞬間的な増加量あるいは減少量」と表した『瞬間』への理解は、『瞬間』を積み重ねれば「時間」になる、と考える「積分」によって、あらゆる自然現象の研究につながりました。宇宙は今から約138億年前にビッグバンと呼ばれる大爆発によって始まった、と考えられているのも、その一つです。138億年から比べれば人の一生は、はかない『瞬間』に過ぎませんが、人々は研究を続けて、自然現象の理解に迫ろうとしています。
ある人は、バブル崩壊、東日本大震災、ウクライナ侵攻など、社会的な出来事を思い浮かべるかもしれません。株価の暴落、震災による被害、戦争による被害など、大きなショックが短期間で起こったとき、実際の長さとは関係なく歴史的な『瞬間』と感じるかもしれません。しかし、人々の日常、長い年月をかけた積み重ねが、その『瞬間』に奪われた、という現実にも目を向ける必要があるでしょう。そして、これらの出来事の影響は、特に社会的に弱い立場に置かれた人々を、より厳しい環境に追いやってしまいます。歴史的な『瞬間』がもたらした人々への影響は深刻で、生活が一変した人も多く、それらの人々にとっては決して『瞬間』ではない、長く困難な時間が続いています。
『瞬間』について、聖アウグスティヌスは、「告白」第11巻第29章で、「人の心は過去の記憶と未来への期待に分散しているが、神様の愛によって、現在、この『瞬間』に、目の前にあるものへと集中できれば、永遠の世界へと招かれる」と書き記しています。
さまざまな教科の学びを通じて、物事を多面的に見ることができる視点を養うと共に、日常生活、学業、部活動、体育祭・文化祭などの学校行事など、あらゆることについて、過去の失敗と、未来への心配に意識を分散することなく、今、この瞬間、目の前にあることに集中していくことを期待しています。