みなさんが「お米一合の日」に寄付して下さったお米は、浜松教会や神の愛の宣教者会(=マザー・テレサの修道会)に送られ、路上生活者への支援、つまり「炊出し」に利用されています。
 随分前のことですが、あるサレジアンが、このボランティア体験を親戚に話す機会があったそうです。すると聞き手は、「そうやって炊出しを続けることが、本当にその人たちの為になっていると思うか?」と回答。……意味はお分かりでしょうか? 継続的に支援し続けることで、自立への道を断っている……とでも言いたいのでしょう。頭だけを使って身体を使わない人の結論というのは、得てしてこのようなものです。いや、頭もそれほど使っていないかな? きっと誰かの受け売りでしょう。問題解決に向けて真剣に調査し、あれこれと対策を考え、少しでも実践した経験のある人の口からは、このような言葉は出て来ません。
 たとえば、路上生活者の中には財産の自己管理が困難だったり、通常の意思疎通が出来なかったりして、十全な自立が不可能な「精神遅延」を持った人々が、結構な割合で存在しています。本来であれば公的支援が為されるべき対象ですが、様々な理由でそれが適わない。そこで、教会が、シスター方が奉仕に出向いているのです。実際に手を動かさない人々が現場の状況も理解せずに「批判的発言」をしたところで、それは至って的外れです。
サレジアン諸君! 何かを考えたり主張したりするとき、掴まされた情報だけで判断することや、人の意見を受け売りすることはもう止めよう。神が与えて下さった「自分」を容易く明け渡してはいけません。
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