1926年2月8日、ヴィンチェンツォ・チマッティ神父率いるサレジオ会日本宣教師団が、初めて日本にやってきました。再来年は来日100周年。日本のサレジオ家族では来年一年間を掛けて準備をして行きます。わたしが「朝のはなし」でチマッティ神父に触れるのは、なんと2011年以来のこと。今後もう少し意識してチマッティ神父について紹介していこうと思います。
 ご存じの通り、チマッティ神父は偉大な作曲家でもあり、また自然科学や哲学の博士号を持つ、非常に能力の高い人でした。しかし、そんなチマッティ神父をも悩ませたのが、「悪魔の言語」とさえ称され、宣教師の修得を阻む難解な言語=日本語でした。それでも、出版や教育、音楽活動を通して日本と日本人に示した愛情は自然と人々に伝わり、チマッティ神父も日本の人々からとても愛されました。「日本の土になりたい」という言葉を残し86歳で帰天されたチマッティ神父ですが、そのご遺体は腐敗を免れ、現在、調布市にあるチマッティ記念聖堂に安置されています。カト研で時々巡礼を企画していますので、興味がある人はお声がけ下さい。
  最後に、日本における宣教について述べた、チマッティ神父の「わたしにとって大変に耳が痛い」言葉をご紹介します。
 「こと、日本においては、聖人でなければ何の役にも立たない」 
  言葉巧みに話される内容よりも、話し手の人となりに重きを置くという日本人の特徴を良くとらえていますね。わたしにとって、聖人というゴールは遥か彼方ではありますが、皆さん、一緒に目指して行きましょう。
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