キリストと地蔵菩薩
先日、「SNSの閲覧数を伸ばす仕掛け人」という方が解説していたのですが、「良い炎上」を創り出すことが効果的なのだそうです。良い炎上とは、賛成意見が8割、反対意見が2割くらい。反対意見が多すぎると議論にならず、投稿数・閲覧数が伸びないのだとか…。ネットの書き込みを見て、思わず賛同・応援したくなったり、反対・批判したくなったりしたとき、ひょっとしたらあなたの反応は「狙われたもの」なのかも知れません。
ところで、異なる宗教の間で対話が行われるとき、双方の違いに目を向けるのと、類似点に目を向けるのとではどのくらいの割合が「良い実り」を齎すのでしょう?正確に数値化することは困難ですが、やはり類似点・共通点をたくさん見つける方が良い…というのは何となく感覚的に分かりますね。そこで今日は、日本に根付いている地蔵菩薩への信仰と、キリスト教との共通点に目を留めてみましょう。
菩薩とは「悟りを求めている人」のことだそうですが、地蔵菩薩は浄土に安住せず、進んで人々と交わり、大いなる慈悲をもって罪人の苦を代わりに受ける…と信じられています。え?これって、キリストさまの描写とピッタリ重なりませんか?天国に安住せず、進んで人々の間に住まわれ、大きな愛をもって罪びとのために苦しみを身に受けられた。日本で大人気のお地蔵さま。同じように「日本人の心を惹きつける」共通点をもったイエスさまも、もっともっと人気があって然るべきだと思うのですが、皆さまはどうお考えですか?
できれば、8割の賛成意見と2割の反対意見をお待ちしております。