神様の愛が見える時
正門の掲示板に再びドン・ボスコの言葉を掲げました。
お馴染みの Allegro! Faccio io! Niente ti turbi!
に加え、日本語の「何も心配しなくていいんだよ!」・・・
この日本語が3つのイタリア語のうちどれに当たるかは、
サレジアンなら常識ですね。
ところで、試験前のこの時期に
本当になぁ~んにも心配しなくて
いいのでしょうか?・・・いいわけがありませんね。
「何も心配するな」というのは「気に病むな」
と言っているのであって、
「心にかけるな」と言っているのではありません。
真剣に取り組むべきは真剣に取り組む。
やるべきことはやる。
サレジアンにとって当然の姿勢です。
ただし、深刻にならず、楽観的に、明るく、
希望を持って取り組もうじゃないか・・・という意図が
Faccio io! や Allegro! にも表されているわけです。
全部つながってるんですね。
ところで真のサレジアンはなぜ楽観的で
いられるのでしょうか。
根拠の無いカラ元気なのでしょうか。
そうではなく、サレジアンの側にいつも先生方が
寄り添って下さっているからで、
実はこれ、目に見えない神様の恵みの、
ちょっとだけ見えやすい形なのです。
サレジオの先生方は、神御自身が君たちのために
特別に選び出され、派遣されたものです。
もちろん先生方は神様ではありませんが、
神様の愛を表す存在として君たちの側に
いて下さいます。
だ・か・ら・・・「何も恐れなくていい」のです。
夢物語に聞こえるでしょうか。
見ようしない人に見えないものは、
何も隠されているものばかりではありませんよ。
先生方の愛情が見えていますか?
心配しないで!
愛されています。
神は愛ですから。