「借り物」の良心
多くの人は、自分の良心=良い心に満足しています。
誰かに良いことをしてあげようと思った時に
実際に行動に移せなくて「自分は臆病だ」とか
「自分はダメな奴だ」とか感じる場合が
あったにしても、良いことをしてあげようと
思ったそのアイディア自体は
100%良いものだと信じて疑わない。
しかし、その姿勢、間違っています。
良心は、初めから人に備わっていると
考える人たちがいますが、それだけではなく、
自分で磨き上げていくものでもあるのです。
自分の経験と照らし合わせ、
人の生き様を参考にしながらじっくりと考え、
自分としての理想の姿を思い描くことから始まります。
そうでなければ、どんなに良いことでも
「誰かに思わされている=刷り込まれている」
ことになる。
「挨拶をしなさい!」と言われるから挨拶をするが、
その大切さは全く理解していない。
「廊下を走るな!」と言われるから気をつけるけど、
唯それだけのこと。
非常に弱い、決心に基づかない、
いい子ぶっているだけの「借り物」の良心。
このような偽良心は、ちょっとした困難に出会うと
一瞬にして消し飛んでしまいます。
階段を登ろうとする御老人に
「お荷物お持ちしましょうか?」と手を伸ばしたら、
「旨いこと言って盗むんだろ!」
と手を撥ね退けられた。
そんな出来事のたった一撃で
「もう二度と人助けなんかするものか!」となる。
心無い人の考え方に負けて、自分の心を捻じ曲げる。
自分で磨き上げて来なかったので、平気で投げ出せる…
それでいいのでしょうか。
あなたの心=良心の決断を、
どうして赤の他人に任せられましょう?
あなたの良心は、あなた自身が支配するものです。
そして、その良心に自分を支配させることが出来れば、
尚よろしい。
そのために、まず、自分の良心を練り直しましょう。
益々、カッコよいサレジアンを目指して…。