「知っていることに決してうぬぼれてはなりません」

おはようございます。
皆さんは英語の know 「知る」という単語を
知っていますね。
このknow という単語の語源はインドヨーロッパ語族の
祖先にあたる言語にあるgnoという単語だという説が
あります。
know の k を g に変えれば gnoという発音に
なりますよね。
know 以外にも、「無視する」の ignore、
cognition 「認識」という単語にも gnがあります。

また世界史を習っている高校生の皆さんは
「グノーシス主義」という言葉を聞いたことが
あるでしょう。
「グノーシス」はギリシャ語で「知識」という意味で、
この言葉もやはり先程の gno に行き着きます。
グノーシス主義とは古代からある一つの哲学体系で、
その特徴として善と悪の二元論、
あるいは身体と精神の二元論が挙げられます。

キリスト教の教えの歴史の中でこのグノーシス主義は
一つの異端として大きな影響を与えました。
今日教会の暦で記念するリヨンの司教聖イレネオも
このグノーシス主義と相対しました。

グノーシス主義のもう一つの特徴は
排他的特権意識でした。
「自分たちこそが深遠な知識の奥義を持っている。」
しかし「自分たちこそ本当のことを知っている。
他のやつらは何も知らないダメなやつだ」とか
「他の人より知識を持っているから俺は優秀だ」
と思いながら学問をすることは正しいことでしょうか。

さてドンボスコは「知っていることに、決して
うぬぼれてはなりません。人は多くを知れば知るほど、
自分の無知をみとめるのです。」と諌めています。

ドンボスコにとって学問は一人でも苦しむ人が
少なくなるより良い世界を作るための道具でした。

来週は期末試験があります。謙虚に学び、
そして勉強を通して得た知識を人々のために使う
そのような人となってください。