本当の親切
席を譲る
おはようございます。
先日電車に乗って四ッ谷に向かっているときのことでした。日吉から座れたのですが、途中から一人のお年寄りが乗ってきました。
「どうぞ」という感じで席を譲ろうとしたのですが、その方は「自分はそんなに年寄じゃない」と憤慨されたのです。
ちょっとムッとしたのですが、確かに自分も「先生、白髪増えましたね~」と言われれば嬉しい気持ちになれないので相手の気持ちは分かりますが、せめて「結構ですよ~」ぐらい言ってくれれば良いのにと思いました。
皆さんは、人に親切心から何かしてあげた時、感謝されなかったり、無視されたり、はたまた逆ギレされたり等の経験があるでしょうか?
そんなとき心の中は穏やかではなかったでしょう。
「折角してあげたのに」と思ってしまうものです。
そういえば相田みつをさんの詩に「あんなにしてやったのに『のに』がつくとぐちが出る」という詩がありますね。
イエス様はもっとすごいことを言っています。昨日のミサの聖書でイエス様はこう言っています。
「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しするかもしれないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しできないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる」
(ルカ 14・1、7−14)
イエス様は、何か人にするときには最初から見返りを求めてするのでは駄目だ!と言っているんですね。
「あ~自分はちいせ~な~」とついついどこかで見返りを求めてしまう自分の小ささを反省させられる言葉です。
鳥越政晴