2024年07月28日
「フィジー語学研修」9日目
引率教員が綴るFIJIの日々(9日目 Sunday)泥温泉日和。
9時、Our Lady of Perpetual Help Churchでミサに与る。静まり返った聖堂。真後ろに座っていたひとりのご高齢の女性が、神による恩恵を意味するSacramentという言葉をささやくように歌い始めたのをきっかけとして、ささやく声が重奏的な祈りとなり、その場の空気が儀式のそれとなっていく。
ときおり英語も交えながらも、フィジー語で行われるミサ。鍵盤ハーモニカを思い出す懐かしく柔らかい音色のメロディーに、極めてシンプルなリズムで奏でられるタンバリンと鈴の音、そして弾むような音の並ぶフィジー語での聖歌。
目の前に座っていた生徒は、前方の壁にうっすらと投影されるアルファベットで表記されるフィジー語を、一生懸命に目と口で追いかけていた。
サレジオ生たちは日本で、英語を学ぶのと同じように、キリスト教について学び、ミサも卒業までに何度も体験してゆく。それは、英語がコミュニケーションツールであるのことと似ていて、世界の至る所に存在するキリスト教の儀式の、ひとつの読み方そして感性を身につけることである。だからこそ、異国の地で言葉こそ全く理解できなくても、ミサにおける一つひとつの意味、例えば、なぜ金色の聖杯にぶどう酒がそそがれ、一欠片のパンが与えられるのか、を彼らは知っている(と信じたい)。そして、そういった行為の意味を知っているというだけではなく、そこに込められた人々の祈りを感じることができるのだ(と信じたい)。
ミサの後は、隣の集会場で軽食をいただく。生徒もフィジーに来てからなにかと間食する機会があり、胃袋が少し大きくなったことを感じているだろう。
その後、バスに乗ること30分。最後の10分ほどは土埃をあげて進むバスに体を大きく揺られ、到着したのはイモトアヤコさんが訪れたことで有名になったフィジーの泥温泉。昨年、渡航前の説明会で「泥温泉は絶対入らないと行けないのですか」と質問していた生徒が泥を顔から背中から体の至る所に塗りたくってはしゃいでいたのが懐かしい。
いざ、泥温泉。まずは体に泥を塗り、乾燥するのを待つ。君たちは永遠の小学生か!と何度もツッコミを入れたくなるほどに、嬉々として泥を塗りたくり、泥水の中に浮かぶ睡蓮の如く笑顔咲き誇るサレジアンたち。ここでは4つの温泉(プール)があり、ドロドロの温泉から徐々に澄んだ温水プールへと順に巡っていくのだが、その全てを同じタイミングで回ることになったあの無表情のインド系青年にとっては、彼が抱いていただろう日本人像が大きく塗り替えられた一日となったことだろう。
泥温泉を満喫した後は、ロティ(サンドイッチ的なもの)とパイナップルで軽くランチ。その後、まさに純度100%ココナッツジュースを味わったり、どこからか見つけてきた小さなココナッツをラグビーボールやサッカーボールに見立てて遊び始める彼ら。
“They became real Fijians.”
授業でもお世話になり午後のアクティビティーにも毎回帯同してくれたカイ先生が、そう言ってなんだか嬉しそうに笑っていた。
そんな、真冬のフィジーの、ポカポカとした日曜日の昼下がりだった。
それにしても、だ。今日の教会での軽食で提供された、おばちゃんたちが作ったというキャッサバ・パイ。甘党の自分にとって、この世界に「好き」が、またひとつ増えた。あくまで食べ物は一例だが、これが旅の醍醐味。
そんなことを思い出しながら、ふと思う。生徒たちには、この旅でどんな「好き」が見つかっただろうか。語学学校の先生たちやホストファミリーと過ごした時間の中に、友達と過ごした時間やひとりで何かを考えたり感じた時間の中に、君たちにとっての「好き」がまたひとつ見つかったことを、願っています。
明日は、卒業式が待っている。