2025年04月22日
弟子たちにとって逆転の瞬間はいつ起こった?
昨日フランシスコ教皇様が亡くなったというお知らせを皆さんもすでに聞いたと思います。まずは教皇様のために心の中で祈るようにいたしましょう。
さて一昨日の日曜日はイエス様の復活をお祝いする復活祭でした。遡ると木曜日最後の晩餐、金曜日受難と十字架上でのご死去、土曜日の日中葬られたイエス様を思い起こしました。ですから教会の暦では金曜日夜にイエス様が亡くなったことを悲しみ、実質その27〜8時間後すぐ「主の復活おめでとうございます」「ハッピーイースター」と喜び祝うのですが、これは儀式の流れであって、実際には一日や二日で別離の悲しみから立ち直るものではないしょう。
2000年前の弟子たちのリアルな体験でも目の前で亡くなったイエス様の復活はにわかには信じられないことでした。
そもそもイエス様の復活は深夜にひっそり起こりと起こりました。聖書には復活の瞬間は描かれておらず、ただ日曜日の朝墓は空っぽだったとしか書かれていません。また弟子たちが「そんなことが起こるはずがない」と頑なにイエス様の復活を信じなかったことも書かれています。何度もイエス様が彼らに現れ、ようやく信じるようになりましたが、結構時間がかかったようです。「そんなことが起こるはずがない」という思いが深く大きいほど、そこから解き放たれるには時間がかかるものです。
弟子たちがついに「イエス様が復活された!」と確信した瞬間は彼らの人生の逆転の瞬間でしたが、おしなべて人生の逆転とは一瞬に起こったようで、実はその前に長い辛い時間があるものです。そして長く深い闇はその逆転の意義の大きさを示しているのでしょう。
何か失敗した時、分からない時に、瞬時に解決や逆転を求めてしまいがちですが、ここは腰を落ち着けて、じっくり向きあってみてはいかがでしょうか。そして答えが自らを表してくれるまで待ち続けましょう。価値ある物を得るには時間がかかります。それが「抗う」ということです。