2017年03月02日

卒業生への言葉

卒業生への言葉
  

鳥越 政晴
  

52期の皆さん卒業おめでとうございます。
  

今日は一冊の本からお話をしたいと思います。皆さんは『最後の授業』というアルフォンス・ドーテの短編小説を読んだことがあるでしょう。舞台はフランス領アルザス・ロレーヌ地方、1871年普仏戦争でこの地方はプロシアに割譲されます。その結果学校ではフランス語を教えることができなくなり、かわりにドイツ語で授業が行われることになります。物語は先生が「フランス万歳」と黒板に書いて教室を出て行くところで終わっています。
  

戦争によって祖国を失い、言葉も奪われる . . . 戦争の影で、敗れた国民の悲しい現実を描いている、と思っていました。皆さんもそうだと思います。しかし先日池上彰さんがある対談集の中で別の視点を与えてくれました。
  

そもそもアルザス・ロレーヌ地方は遡ると神聖ローマ帝国に属し、そこで話されていた言語はドイツ語でした。つまりここは約一千年ドイツ語圏だったわけです。
  

池上さんはこう書いています。 「それをフランスが占領して、フランス語の授業を押し付けていたわけです。だから『フランス語の授業はこれが最後だ』ということを悲しい話とするのは、あくまでもフランスの視点に過ぎないということなのです。」
  

この地方がフランス領となったのは1730年頃、この物語からわずか130年前だったのです。私にとってもこの『最後の授業』の情景はにわかに違ったものとなってしまいました。
  

時として、目の前にあるものの背後には別の世界や歴史、考え方が存在していることに気付かされます。より広い地平に立つと目の前にある現実はまた違って見えてくることがあります。だからこそ「見えないものに目を向ける」ことは大切なことです。今年1年間、折に触れて皆さんに伝えてきたことです。
  

さて先ほど聖書朗読では「よきサマリア人」のたとえ話を読みました。サレジオで過ごす中で幾度となく聞いたことがあったと思います。
  

ところでイエス様はなぜ登場人物としてサマリア人を選んだのでしょうか。イエス様自身ユダヤ人、話を聞いている民衆もユダヤ人、あまりいい役回りでない祭司長、レビ族の人もユダヤ人です。なのに一番いい役はサマリア人という外国人がもらっています。偶然でしょうか。
  

実はユダヤ人とサマリア人は民族的、宗教的に長い間敵対関係にありました。この歴史的背景を踏まえて、そのサマリア人をあえて「いい者」としてイエス様が選んでいることに気づけば、そこに「隠し味」があることが分かってきます。イエス様は「お前たちの憎んでいるあのサマリア人こそが神様の望んだ生き方をしているんだよ。神様が望んでいる生き方を理解するために自分たちの狭い了見を捨てなさい」と言っているかのようです。
  

「神様が望む生き方」とは . . . それは十分理解していると思いますから、これ以上このたとえ話の詳しい解説をするのはやぼでしょう。
  

皆さんもより広い社会の中で「よきサマリア人」、真のグローバル人材となって、現在世界のいたるところにある壁を打ち壊す人材となってください。
  

サレジオを卒業していく52期の皆さん、これからも25才に向けて、そしてさらにそれの向こうに皆さんの人生が展開していきます。もしかすると聖書の話を聞くことはこれが最後、『最後の授業』かもしれません。でもこれからの皆さんの心にイエス様の教えが灯火としてあり、周りの人々を照らしていくことを祈っています。
  

「サレジオ万歳」
  

「52期万歳」