2023年09月14日

ベッピ・キュッパーニ著『救い』を読んで——「茶の湯」をめぐる比較文化

 ちょうど二週間前に出版されたベッピ・キュッパーニ(Beppi Chiuppani)という比較文学研究者が書いた『救い(Salvezza)』という本は、明快なイメージを複雑に奏でる、すごく興味深い作品でした。キュッパーニさんはイタリア人ですが、奥様はヤマザキマリさんです。ヤマザキマリさんは『テルマエ・ロマエ』という漫画作品でも有名な藝術家です。最近は山下達郎さんの『SOFTLY』というCDアルバムのジャケットの肖像画を描いたことでも話題となりました。ヤマザキマリさんは、もともと由緒正しいイタリア各地の肖像画の技法の研究をされた美術制作の専門家です。

 

 さて、『救い』という本は16世紀以降の実際の歴史資料を駆使した創作文學作品です。キリスト教をアジアに幅広く伝えようとして熱心に働いたイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニヤーノというイエズス会司祭の日本での活躍を描いています。

 

 しかも千利休や髙山右近などの茶人たちが協力して高めた「茶の湯」の藝術性と人間の救いを連続させつつ、逆に「茶の湯」を民衆煽動の手段として巧みに悪用する豊臣秀吉の策略をも浮き立たせる描きかたをしています。「茶の湯」をキリスト教宣教の手がかりとして尊敬して活用するヴァリニヤーノと「茶の湯」を政治的なパフォーマンスとして利用する豊臣秀吉との熾烈な対決。結果的に千利休は豊臣秀吉から切腹を命じられ、ヴァリニヤーノはアジア視察の旅を終えて失意のうちにヨーロッパへと戻る場面で締めくくりとなります。

 

 日本対外国という埋められない溝、スペインやポルトガルの政治家たちによるアジア侵略の意図をあばこうとして絶えざる疑いのまなざしで宣教師を責め続ける豊臣秀吉の執念深さ。複雑な対立図式を「茶の湯」を中心とすることであざやかに解き明かす作品の構成の仕方に驚かされました。どの立場に身を置くかで、正義の基準も変わり、何が最良の道なのかは結局はわからないという複雑な現実。そのぶつかり合いの全体を描いた『救い』という作品は見事です。キュッパーニさんによる日本人理解は相当に深く、正確だからです。

 

 純粋に、下心なく、ひたすら「お茶を飲む」という救いの現実。「お茶を飲む」という単純なしぐさをめぐって、あらゆる人びとの隠されたおもいがぶつかり合い、愛情と憎しみが増幅される人間のドラマをたどるうちに、16世紀以降のキリスト教をめぐる人びとの思惑が見事に整理されて一枚の絵巻ものとして読者の心の奥に飾られるのでしょう。

 

 

※ベッピ・キュッパーニ(Beppi Chiuppani)[中嶋浩郎訳]『救い(Salvezza)』みすず書房、2023年9月1日、598頁。

※ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』全6巻、ビームコミックス、2008-2013年。

※山下達郎CDアルバム『SOFTLY』ワーナーミュージック・ジャパン、2022年6月22日。