2024年07月11日
朝の話「YOKOHAMA事件?」副校長・定光
皆さん、おはようございます。昨年に引き続き、今回も同窓会での話です。
去る5月18日、今年もサレジオホールにて同窓会が行われました。今回は、28期と53期の卒業生が集まりました。
この2つの学年とは、私は直接関わりはなかったのですが、それでもサレジオホールには、ニコニコしながら私の方を眺めている、二人の卒業生がいました。サレジオホールに入るや否や、「定光先生、僕たちのことを覚えていますか」と声をかけれられました。もちろん忘れるはずがありません。名前もすぐに思い出しました。
時はまだ校舎が鷺沼にある時代のことです。とある出来事で私が対応した二人でした。事の詳細についてはここでは触れませんが、決して喜ばしい出来事ではありませんでした。
当時の私はまだ若く、教師経験が浅かったので、その対応に真剣に悩み、迷い、その晩はなかなか眠れなかったことを覚えています。
同窓会ではその時の話に花が咲き、後日談も含め、色々と話を聞かせてもらいました。
翌日、二人からそれぞれにメールが届き、その中の一つに次のようなくだりがありました。
「・・・この男たちに罰を用いなかったことが、果たして良かったのかと気をもませてしまったかもしれませんが、大丈夫です。正解です。なぜならば、50歳を迎え、母校にこんなことをやっていますとご報告できるに至ったからです。改めて、感謝いたします!・・・」
サレジオに罰則がないわけではありませんが、当時の判断や対応が正しかったのかどうか不安に感じていた気持ちが、40年越しに1つ解消された瞬間でした。
その報告の通り、一人は今では会社の代表取締役であり、もう一人は国の行政機関で要職についています。
サレジオ6カ年の中では、様々なことが起こります。良いことも悪いことも、ワクワクすることもハラハラすることも。けれども全ては学びであり貴重な体験です。無意味なことは何一つありません。
長いと思える学校生活も、あっという間の6年間です。単調で、同じことの繰り返しに見える毎日も、実はその地味な積み重ねが、皆さんの成長に大きく関わっています。無意識ではあっても、皆さんは日々精一杯生きており、その結果として、知らず知らずのうちに立派に成長させてもらっているのです。
サレジオにはよく卒業生が訪ねてきます。大学のことや就職のこと。結婚や子育ての相談まで、時には奥様や子供たちを一緒に連れ、いろいろなことを話しにきてくれます。そして、そのような時に彼らが一様に言ってくれるのは、「サレジオで6ヵ年過ごすことができて本当によかった」という言葉です。
現在、難しい問題に直面している人がいるかもしれません。しかし、サレジアンにとって『全てのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。』(ローマ人への手紙8章28節)
ところで、前回朝のはなしで紹介した大動脈解離という大病を克服した先輩は、昨日元気な姿で野球の応援をしてくれていました。
それでは、これからも皆さんにとってサレジオが喜びと安らぎのオラトリオであり、いつでも安心して戻ってくることができる母港でありますように!