2024年10月10日

朝のはなし「読書のすすめ」定光副校長

皆さん、おはようございます。

 

今日は1010日。暦の上では、すでに「晩秋」です。長く続いた猛暑もようやく落ち着き、少しずつ秋の訪れを感じる季節となりました。気がつけば、周りの木々も紅葉の時を迎え、豊かな緑色だった葉は、今や赤や黄色へと美しくその姿を変えつつあります。

 

紅葉を見ると思い出すのが、絵本『葉っぱのフレディ~いのちの旅~』(THE FALL OF FREDDIE THE LEAF A Story of Life for All Ages)です。この作品は、葉っぱのフレディの一生を通して、成長や変化における喜びや戸惑い、そして、生きること・死ぬことの意味を考えさせてくれます。著者はアメリカの教育学者で哲学者でもあるレオ・バスカーリアです。彼は、この最初にして最後の絵本に、自身の人生哲学を託したのかもしれません。

 

この物語では、フレディが最後に枝から離れるとき、初めて自分がつながっていた木を目にします。その木は、「がっしりした、たくましい木」でした。フレディは枯れ葉となり地面に落ち、安らかに眠りにつきますが、それで全てが終わったわけではありません。自然の摂理の中で、枯れ葉となったフレディは、次の世代を育てる養分となるため、土に自分を渡し「生まれたところにかえったのでした」。

 

話は変わりますが、もう一つ死生観について考えさせられる興味深い作品を紹介したいと思います。それは、C.S.ルイスの『天国と地獄の離婚』(The Great Divorce)という物語です。作者のC.S.ルイスは『ナルニア国物語』(The Chronicles of Narnia)で有名ですが、オックスフォード大学やケンブリッジ大学で中世・ルネッサンス英文学の教授を歴任し、『指輪物語』(The Lord of the Rings)で知られる、J.R.R.トールキンとも親しい友人でした。

 

この物語は、“地獄の亡霊たちが空飛ぶバスに乗って天国に観光旅行に行く”という、奇想天外なファンタジーです。ルイスが描く地獄は、灰色の陰鬱な町で、雨がしとしと降り続き、建物は空っぽです。そこの住人は、実体のない影のような人々で、感情に振り回され、自我に囚われ、他者とも折り合いがつかず、引越しを繰り返すような生活をしています。有名なナポレオンもその一人で、彼は自室を行ったり来たりしながら、ひたすら他人を責め続けています。

 

亡霊たちが天国に行くと、そこには光と愛、そして、嬉びに満ちたスピリットたちがいます。彼らは陽気で思いやりに満ち、堅固で確固たる実体を持っています。一方、実体のない亡霊たちは、天国を歩くだけでも一苦労です。足が痛く、草をわずかに動かすことすらできません。亡霊たちにとって天国のすべては、あまりにも重く堅すぎるのです。通常の出来事も彼らには危険極まりなく、たとえば天国の雨粒は機関銃の弾丸のように感じられるのです。

 

こうした状況が、自我に縛られた利己的な亡霊たちには、大層居心地が悪いのです。その結果、ほとんどの亡霊たちは、天国にとどまることなく、自ら地獄行きのバスに戻って来てしまいます。

 

ルイスの考える天国や地獄は、閻魔大王のような存在によって振り分けられる特別な場所ではなく、自らの生き方によって結果的に選び取ってしまう場所なのです。つまり、天国か地獄かは、自己を放棄するか、自我にしがみつくか、なのです。

 

さて、皆さん。秋の夜長には、物語やファンタジーの世界にもう一度足を踏み入れ、心を豊かにしてくれる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。きっと『指輪物語』のフロドや『はてしない物語』(The NeverEnding Story)のバスチアンのような英雄たちが、取り分けナルニア国の王・アスランが、皆さんの訪問を心待ちにしていることでしょう。

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