「怒る権利vs.愛する義務」
数年前、支援学級に「頭を悪くする方法~まねをしないでください~」という掲示があることをSNSで目にしました。そこに書かれているのは、支援を必要とする生徒にとって苦手なことばかり・・・。このような、人を傷つけるような表現に、追い詰められていたであろう子どもたちを思い、心を痛めた人が多かったようです。怒りのコメントが多く寄せられていました。
わたしは、怒るよりも只々悲しくなりました。3つの悲しみです。まず、このような表現で、一方的な正義を押し付けられた、逃げ場の無いこどもたちへの悲しみ。次に、このような表現方法しか執れない、優しさの表現方法を知らずに大人になった人への悲しみ。そして、義憤に駆られるあまり、問題解決に取り組むより先に、支援すべき対象を「悪人」として裁いてしまう人々への悲しみ・・・。
重要な、あるいは深刻な問題ほど、冷静になって考えることが大切です。考えてみてください。本当の愛に触れる機会に恵まれなかった人は、愛を知るすべを持ちません。その人が、本当の愛を知り得なかったのは、その人だけの過ちでしょうか。失敗をした人を諫めることと指弾することには、大きな隔たりがあります。愛を知らければ、与えれば済むことです。指弾することと、「頭を悪くする方法」を掲示することに、どれだけの違いがあるか。
怒りをあらわにする人は、「自分には怒る権利がある」と思っているのでしょう。あるかも知れませんが、そんな「権利」手放してしまってもいいのです。愛するのが「義務」ならば・・・。