本当の意味で「自由である」とは、どういうことでしょうか?

 

はい。サレジオ生ならば、即答するのは止めてくださいね。即答するということは「モノを考える習慣がない」ということ。

 

まぁ、小さい子ならいいでしょう。大人は積極性を引き出そうとして、即答する子を褒めます。子どもは嬉しいので、また褒めてもらおうと、どんどん即答。そして、特に褒められた表現があれば、何度でも繰り返す。

 

…こうして、めでたく「考えない姿勢」が定着。自分がこのシステムの中にあったとしたら、一体どこが自由なのかな?「褒められること」に雁字搦めですよね?

 

ここで「本当の自由」について説明してしまえば、また考えなくなるので、ホンのちょっとだけ…。たとえば、「間違える自由」なんてどうかな?質問者や周囲の期待する回答を投げ捨て、たとえ間違ったとしても「本当の自分の考えを言い表す」自由。

 

誰かを傷つける発言でもないのに、「自分たち」とは考え方が違うとか、ちょっと変わっているとかいうだけで、批判されたり、非難されたり、時には排除されたり…と、そんな縛りがなければ、どれだけ自由か。

 

しかし、縛られていることに気づかない人は、間違える自由を放棄し、誰かの用意した「正解」に靡き、褒められて満足だと自分を欺く。

 

良く考えてみよう。君の信じている自由…、それって猛毒だぜ!