体育祭、お疲れさまでした。限定された条件の中にあっても、与えられている才能・時間・自由のすべてを使い切る。まさに「サレジアンとしての召命」を全うしているみなさんを見ていると、本当に感謝に堪えません。全職員を代表してお礼を述べさせてください。サレジオ学院に来てくれて本当にありがとう!例によって褒めるべきところを挙げていけば時間が足りなくなるので、今日は割愛します。

 

ただ一つだけ気づいたことを共有させてください。それは体育祭が一通り終わり、片付けに入る前に、高2の学年主任の先生が皆を集めてお話をされていた時のことです。遠目に眺めていた私は、隣にいらっしゃった教頭先生にこう囁きました。「大きな仕事を成し遂げた後の生徒たちは、先生の話を本当に良く聞きますね。」みなさんが自覚していたかどうかは分かりませんが、なぜだと思いますか?

 

自分の力を使い切って「実り」をもたらした人は、それが「恵み」によるものだということを魂のレベルで感じ取っているのではないか。マタイ5章に記されている「自らの貧しさを弁えた、真に幸いな者」として、自分を活かしてくれる恵みを取り零すまいと集中しているのではないか。そして、その結果さらに成長し、召命をさらに良く生きるようになるのではないか。…私はこう考えています。

 

明日は「慰霊祭」。お祝いの雰囲気ではありませんが、命の大切さを再確認し、霊的に成長する機会として真剣に取り組み、この恵みの時を活かしてくれることを期待しています。