『受け継がれるサレジアニタ』

  昨日の朝から、正門前や校内で「トルコ・シリアの被災地支援」のための募金が始まっています。カトリック研究会の中学1年生と有志生徒が交代でボランティアをしてくれています。「手を差し伸べる」ということへの迅速性とFaccio io!に感心させられます。

 

そればかりではなく、陸橋を渡って来る先輩たちが、彼らの姿を見て自然と財布を出す、その姿があまりにも自然で「さすがサレジアン」と感嘆しています。先輩たちは、被災者への支援と、後輩への励ましばかりではなく、サレジアニタを実践することで「それが絵空事ではなく、真にサレジオの心である」ことも身をもって示してくれているのです。1年生も、彼らを支える先輩たちも、本当にありがとう。

 

さて、聖書に「受けるよりは与える方が幸いである」Act.20,35というフレーズがイエスの言葉として紹介されています。先輩方は、1年生と被災者に「与える立場」として、この言葉を味わっていることと思いますし、1年生は、受ける事と与えることの両方の幸いを味わっていることでしょう。このようにして教えを心にとめ、それを実践する人々の理解は、やってみない人々の理解よりも遥かに深い。実は、聖書には幸せになる方法が記されています。信じない人と、信じてその教えを生きてみる人とでは、結論が大きく変わって来るのです。

 

もちろん、皆さんが幸せになるのに聖書に拘る必要も無いし、結論を急ぐ必要もありませんが、今、サレジオ学院という環境を持っているということは、サレジアン諸君の召命の一部です。この恵みを無駄にせず、大切に生きて欲しいと思います。・・・試験準備、頑張ってください。