今日は「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」という言葉をご紹介します。これは、玉川学園の創立者である小原國芳先生の言葉として広く知られています。小原先生ご本人はこれを「ガリレオの言葉」として紹介していますが、後の研究では初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーのものと目されているようです。言葉というものは、誰が言ったか、なぜ、どのような背景があって言ったかを考慮に入れて眺めることが大切ですが、今日は言葉そのものに注目していきます。

 

サレジオ学院では召命教育を大切にしていますので、当然「自分で考える」ことを重要視しています。自分で考えること無しに自由な人生を送ることはできませんので、考えない人の将来は奴隷化まっしぐらです。しかし、自分で物事を考えるためには、どうしても「考えるための材料」が必要。ですから、まず、学ぶことから始めなければならないのです。学ばないならば、あなたは自己の召命を生きることができません。自由を行使することができません。縛られたままの人生で終わってしまいます。

 

では、何でもかんでもただ学べば良いのでしょうか。人は目新しいものの見方や最先端の考え方を無批判に受け入れてしまいがちです。しかし、学ぶことと受け入れることは別のこと。自らの中に住まわれる神の声がより良い選択肢を求めるなら、更なる学びと、自らの考え・立場を明らかにして行くことが重要になって来ます。学んだことを盾に「誰かの意見」を主張し続けるのは、やはり自分の人生を生きることにはならないからです。