徒弟制度・マニュアル・聖書
福音書に依れば、イエスは宣教活動の初めに弟子を取っています。「師匠は晩年になって弟子を取る」というイメージとは裏腹に、イエスが初めに弟子を取った理由のうちの一つ「イエスの考え方、やり方を、そばに置いて学ばせるため」という点について考えます。
見て学ぶ、師匠の技を盗む…というのは日本古来の「徒弟制度」においては当たり前の習慣でした。しかし、昨今は何かにつけマニュアルを求める風潮があり、「マニュアルにすれば簡単に修得できるのに、わざわざ『見て学べ』とか勿体ぶる点が日本のダメなところ」などと誇らしげに語る人もいます。
ところで、人は苦労して手に入れたものを大切にし、一方、簡単に手に入れたものは軽視する傾向にあります。つまり、人があるものを獲得したとき、その価値は「そこに至るまでの道のりによって変わる」ということ。価値を軽く見れば、当然、取り扱う態度もいい加減になります。安直で不出来なマニュアルを用いて「安易に」技術や知識を修得したとしても、本当の価値を学ぶことはできません。非効率の中に見出せる価値もあるのです。
キリスト教には聖書という幸せのマニュアルがありますが、考え無しにこのマニュアルを用いても、手放しで幸せになることはできません。真の価値観を築くための一つのヒントがあなた自身の中に隠されています。神がいくら全能だと言っても、あなたの協力無しに、あなたを幸せにすることはできないのです。