勇気をもって「呼び水」となろう!
「井戸水をポンプで汲み上げて利用している」という人は、サレジオ学院にはあまりいないでしょう。井戸用の電動ポンプは、一旦、水が枯れるまで汲み上げてしまうと、水が溜まるのを待って再度ポンプを稼働しても、再び水を汲み上げてはくれません。パイプに空気が入ってしまうと、上手に水を汲み上げられなくなるのです。そこで、水の通り道に外から水を注いで満たしてあげる必要があるのですが、これを「呼び水」と言います。調子の悪かったポンプが、わずかな呼び水を入れてあげるだけで、再び遥かに多くの水を汲み上げるようになるので、「呼び水」という句(=フレーズ)は「出来事の切っ掛け」という意味にも使われています。
ところで、私は普段、人から勇気をもらったり、人に勇気を上げたりはしません。勇気が必要な場面では「自分で勇気を出す」ようにしています。また、誰かに勇気が必要だと感じた時には、「その人自身が自分で勇気を出せるように」励ましたり、応援したりしています。勇気なんて人にもらったり人にあげたりしなくても、神様が一人ひとりに、十分に与えて下さっていると信じているからです。ですから、「誰かから勇気を貰おう」なんてムシのいいことを考えたりせずに、まず、自分が頂いている勇気を見つけ出して、それを有効に活用しましょう。
と言っては見ても…、「精も根も尽き果てた」「勇気が枯れてしまった」と思えるような状況の人がいたとしたら…。その時には「呼び水」として勇気を上げても良いでしょう。貰っても良いでしょう。ただし、一旦、勇気に満たされたなら…、そのあとは、溢れ出す自前の勇気で生きられるはずです。別にケチケチしているわけではありません。人から勇気を貰う体験より、自分の中から勇気が溢れ出す体験の方が、はるかに人を勇気付けるものです。「呼び水」で充分。あとは、その人と神様を信じましょう。