違うことの意味
フリードリヒ・ニーチェという哲学者。特に有名なフレーズ「神は死んだ」はご存じでしょう。神父のわたしからしたら「チョッと何を言っているのか分からない」と言いたくなりますが、今日は彼の主張の中、わたしにも賛成できるものをご紹介します。それは「若者を確実に堕落させようと思うならば、違う思想を持つ者よりも同じ思想を持つ者を尊重するように導け」というもの。
人は自分と同じ価値観を持つ人や同じ考え方をする人と仲良くなり易いものです。その方が一緒に居て、会話をして、あるいは食事をしていて楽しい。その方が人を受け容れ易いし、自分も受け容れてもらえるからです。しかし「それだけ」では、人は堕落してしまう。つまり、さっきのわたしの「チョッと何を言っているのか分からない」とか言って放置する姿勢はダメダメの典型です。人間、自分と違う考え方、新しい考え方に出会ったときに、少なからず抵抗感を抱くものですが、大抵の場合、それは自分なりの結論が出ている問題について新たに考えなおすことを面倒くさがっているだけ。ただの怠慢です。ちゃんと考えた方がいいですね。
99年前の今日、日本に降り立ったサレジオ会員たちにとって日本人は、そして日本人にとってサレジオ会員は、お互いの価値観を見つめなおす切欠となりました。そして、この価値観の違いこそが日本におけるサレジオ会員の存在意義とも言えます。本日午後、一人の若者が「サレジオ会員として生涯を神にささげる」誓いを立てます。「自分の人生は自分のモノ」なんて、極当たり前のことが強調される昨今「何故そんなことを?」と思ったあなた。彼の選択があなたの価値観にどのような刺激を与えるか?チョッとだけ深く、考えてみませんか?
