話し合いの土台となる言葉の定義

少し前にカトリック研究会で取り上げたテーマをご紹介します。
話し合いをしているときに「思うように意見がまとまらない・理解し合えない」と感じることが無いでしょうか。もちろん、人の意見は十人十色。譲り合いの精神が必要なことは重々承知しているし、実践してはいるのだが、それにしても妙に食い違う。そんなとき「人によって、言葉の意味や定義、とらえ方がバラバラ」ということが考えられます。分かり易く、極端な例を挙げて説明しましょう。

日本でナポリタンといえばスパゲッティのことですが、アメリカではアイスクリームのこと…。
「ねえ、ナポリタン好き?」
「大好き!」
「今から食べに行こうか?」
「いいね、昼食にはちょっと早いけど…」
「え?昼食にナポリタン?それはちょっと物足りなくない?」
「いやいや、大皿に山盛りにしてもらうから大丈夫」
「ぇえ?また極端だねぇ。第一、ナポリタンを大皿に山盛りなんて、お店の人、なんて言うかな?」
「ん?普通に出してくれるんじゃない」
「いや、出してくれたとしても、普通に食べきれないだろう。」
「平気平気。タバスコをたっぷりかければ食欲も出るし。」
「……」
と、永遠に話が噛み合いません。

 日常会話であれば笑い話で済みますが、重要な話し合いをしているときにこのようなくい違いがあると、結果は散々です。話し合いでは、予め個々の言葉や概念(ある物事について、多くの人が分かるように説明される内容)を明確にしておくことが大事です。日本人はこのステップを「言わなくても分かる」として省いてしまい、その結果トラブルに発展することも少なくありません。誤解の可能性は予め排除しておくべきなのです。優れたプレゼンテーションの多くが言葉の定義から入るも頷けますね…。